ダメ男の学びの加速法

 学び方のスタンスについては、人それぞれで、自分の解釈に基づいて知識をインプットする人もいれば、自分の経験や頭に入っている知識を全て一旦わすれて、0から初心にかえって学ぶ人もいるし、ヒラメキやアイディアを得る為に一つの分野をひたすら深く観察する人もいる。私の場合はというと今挙げた中で2番目が一番近い。というのも元々、小さい頃から武道を嗜んでおり、守,破,離の原則が何かを学習する上で土台になっているからであり、十代の頃はこの考え方が割りかし人生の要所で役に立ったからである。ある程度社会経験を積むと己の慢心から守の段階をすっとばしいきなり"破"や"離"の段階に行ってしまい、人のアドバイスを聞かなかったりすることが今のダメな私を作っている原因である。  今回は守、破、離の中で最も基礎的な”守”の段階について3つのステップに分けて私なりの見解を示していこうと思う。


知らないという事を自覚する

私は会社に入社した頃、先輩や上司の言う事は素直に聞いた。彼らが私に教えてくれる仕事のスタンスや心構えなど偏見する余地もなく素直に学習していった。おかげで数ヶ月で仕事の全体像がつかめてきた。あたりまえだろう。仕事を教わる者の立場として反論や偏見は許されるものではないしそれが新人の努めだ。しかしよくよく考えてみると無知、何もしらないという自覚がなければ、自分がチャレンジしようとしていることに対して積極的に学ぶ姿勢になるはずがない。これが数年経った今どうだろうか、上司に対する偏見や仕事に対する慢心ですっかり学ぶ心を腐らせてしまっている。おかげで仕事の成果はまるで上がらない。"何も知らない"とはネガティブな表現だが、言い方を変えれば自分には学ぶチャンスがある、成長させてくれる機会があるとなる。無知の自覚は学習を加速させる。

認める、信じる

   新社会人の頃、あまり接点がなかった友人が突然連絡をしてきてマルチ商法のセミナーに誘われた事があった。マルチ商法の勧誘とはつゆ知らず訪れた会場では一人の成功者が熱弁をふるい会員達が一生懸命メモを取りながら話を聞いていた。その空間には疑念や偏見、否定、批判といったマイナス要素は感じられない。信じるものは救われると言わんばかりにポジティブな感情が支配していた。彼らの学ぶ姿勢はまったくぶれておらず自分の課題にフォーカスし素直に言われた事を吸収していた。何かを学ぶ時に傍観者的な立場で何か得られるものはあるんだろうか? 何かを学ぶ時、自分の価値観に基づいて批判や偏見を持った頭で何か得られるものはあるのだろうか? 学ぶ対象が何であれ、そこに書かれている事実を認めて信じることで初めて学習のスタートラインに立つ。学んでいる内容が間違いである可能性について指摘するのはほんの些細な問題でしかない。なぜなら人間には改善するという能力を持ち合わせており、知識の追加によって修正が可能だからだ。学ぶ上で信者になるというのはある意味理にかなっているかもしれない。

学んだ事を行動に起して適切なフィードバックを得る

 二十代の前半の頃、どうにか結果を出して認められたい!そんな承認欲求に飢えていたころ、本屋に通ってはビジネスコーナーにある書籍をあさっては読みまくって実践していたが、結果は出なかった。その事実が認められない私はセミナーにはまりだし大金をはたいて合宿にも行ったことがある。が結局成績は振るわなかった。なぜ結果が出ないのか今ではよくわかる。新しい情報を得て実践する事は全く正しいが、フィードバックは環境に応じた適切な 形で得なければ、水を笊で掬うようなものでまったく身にならない。私の場合は上司のアドバイスや指摘、同僚からの仕事上の批判を受け流していた事が原因だった。同じ境遇、環境にいる人間のフィードバックは単純で当たり前に聞こて馬鹿にしがちだが、まったく的を得ていて振り返る部分が多い事に気づかされる。どんな本やセミナーで学んでも私はいいと思うが、自分の立ち位置を忘れてフィードバックをないがしろにするとやはり結果はついてこない。改善と修正には知性が求められる。

まとめ

常に初心にかえるというのは重要な事だ。慣れは慢心と怠慢を生み学ぶ機会をことごとく逃してしまう。私は反省せねばならない。