空手で強くなる方法

空手が強くなる方法は目的によって練習方法がまったく異なる。全身の筋肉を鍛え運動能力を向上させる事によって圧倒的なパフォーマンスで相手を制す体の使い方と、無駄な体の使い方はいっさい避け一つの技に対するエネルギーを極力押さえて極小の力で相手を制す武道的な体の使い方を目指すのとは訳が違う。  前者は比較的短期間の内に鍛え上げた効果が発揮され追い込むほどスピード、瞬発力、パワーが向上していく。3年本気で取り組めばどこぞの流派の試合で上位に食い込む事は間違いないだろう。しかし年齢を重ねるとともに運動能力は減少の一途をたどるので、限られた期間の中での強さだ。対して後者の場合は3年程度じゃとてもじゃないけど身に付かない。10年でやっとスタートラインに立てるほど長い修行期間を要する。だが、継続それば、心技体を究極的に極められ年齢を重ねるに比例して強くなる。 やる事と言えば、ひたすら感覚を研ぎすますため一つの技を延々と膨大な量を繰り返す。仏門を叩いた新米の僧侶がひたすら悟りを開くまで延々とお経を唱えるのと同様、無駄がなくなるまで全身を意識して、頭を使いながら同じ動作を何回も繰り返す。技巧だけでなく空手に対してある種の哲学や悟りを見いだすまで修行は終わらない。この種の修行は拷問と言えるほど単調な練習の繰り返しで挫折する者も少なくない。世に名前は出ていない武道の本質をつかんだ"達人"はすべからくこの練習を日課にしている。  さて10年以上の空手キャリアを誇る私の武道的練習方法を公開しよう。ちなみに私は今から紹介する練習を一日も欠かした事がない。強くなりたければ日常の習慣として練習を取り入れなければダメだ。

体を作る

 まず一つ言いたいのが、私は年がら年中空手の練習だけをしている訳ではないという事。一ヶ月に一、二週間は体幹トレーニングだけに費やす。武道に限らずどのスポーツにも言える事だが、丈夫な体があってはじめて厳しい稽古に打ち込める準備が整うのだ。体のコンディションを無視して、いきなり空手の型や目慣しはやらない。基礎的な体力やバランス感覚は空手では身に付かない部分が多くあるし、こういったトレーニングで得られる感覚は空手の身体操作において重要なポイントになってくる。では具体的に何をやっているのかを話そう.。
バランスボールで直立、倒立
中心軸を鍛えるために用いる。空手において全ての技のエネルギーの源はヘソの下の丹田にある。丹田のエネルギーを効率的に技に呼び込むには呼吸が重要だ。不十分な姿勢では力強い呼吸を作り出す事はできない。そこで頭のてっぺんから踵まで丹田を結んだ中心軸を作る事は、攻撃の精度を高める為に非常に重要なファクターになる。また軸の通った姿勢は相手に付け入る隙を与えない。常にどの状態でも後の先を取る準備ができている姿勢になる。バランスボールの上で立てるようになったら頭上にペットボトルを置いてさらに追い込む。それができたら一分静止の後ゆっくり正拳を突く。ポイントは言うまでもなく丹田を意識して立つ事だが、最初は難しいと思うので、骨で立っている感覚を目指す。筋力に頼りすぎて立たない事。
逆立ちで静止、歩行
これも丹田を含めた中心時を作る事が目的。最初は壁を使って練習する。一分間静止してなるべくプルプルしないように軸が一直線になるように練習する。歩行の際もなるべく体がくの字にならないよう軸がまっすぐのまま歩行できるようにする。最終的には指で立てるようにする。
フロントブリッジ、バックブリッジ、ダイアゴナル
言わずと知れた、定番の体幹トレーニングメニュー。これも丹田と呼吸を意識してなるべくアウターマッスルを使う事を避ける。それぞれ2分間静止できるように練習する。2分間静止は筋力を駆使してバランスを取ろうとするとものすごくキツい難しい。骨で立つ感覚も忘れずに意識する。
バランスディスク上での蹴り
主に基本的な蹴り技で片足を上げて、軸足はバランスディスクの上で静止する。前蹴り、蹴込み、回し蹴り、後ろ蹴りの4種類の技でなるべく胸の高さ以上で静止できるように意識する。これも呼吸がものすごく重要。ちょっとイメージしにくいが足先まで呼吸が浸透してエネルギーで満たされる感覚だ。最初はバランスディスクから転倒したり、足が吊ったりなかなかキツいトレーニングだが、重要なので練習すべし。
頭にペットボトルを乗せて様々な立ち方で静止。
 攻撃時、受けの状態を表す立ち方が多いので正しい姿勢で立てる事が、有効な攻撃、有効な受けを繰り出す基準になる。下半身に無駄な力が入っていればそれだけ相手に有効打を打てない確率が高くなる。どんな姿勢の立ち方でも常にリラックスした状態にするのが目的。3分間同じ姿勢をキープする。

一つの技をひたすら極める

 最も基本的な技をテーマを決めて納得がいくまでひたすら繰り返す。呼吸、丹田、技のキレ、無の精神と一つの技に様々な課題を課して自分が納得するまで突きまくる。同じ運動を何回も繰り返す事は運動科学の観点から言えば間違いだらけで実に非効率なトレーニング方法と言えるのではないだろうか。しかしこのトレーニングの目的は、運動能力の向上ではない。脱力、感覚、技の精度、精神を研ぎすますためにやるもので、物理的というよりもスピリチュアルに近いトレーニング方法かもしれない。そう先にも言った僧侶がお経を唱えるがごとく、何か一つのテーマに対して一つの気づきを得る為にやるものでもある。気づきというのは千差万別で人によっても得る感覚がそれぞれ異なるので私の感覚を話したところで、それを得ようとするのは難しいし時間の無駄である。自分の感覚を極限まで研ぎすまして技を作る事に意味がある。守・破・離で言えば離の段階に属する話だが、守の段階に不備があると気づけば躊躇なく引き返して一から出直すことを薦める。私は空手を初めて10年以上立つが、自分の守の段階に疑問を持ち始めて、現在3年目だが空手の練習と言えば、追い突きしか練習していない。

站椿

"立禅"といったほうが分かりやすいかもしれないが、文字通り禅だ。両手を前に出し、膝を少しかがめた姿勢で立つ。 無心の精神を鍛えるため、白紙の心でひたすら立ち続けるというもの。すこしでも油断すると心の隙間から余分な思考が入ってきて集中力を乱してしまう。何も考えずに突っ立ってることがいかに辛い事かよくわかる。無心の心は動揺、恐れとは無縁の精神。相手の心を全てを見透かし、戦わずして勝つことも可能になる。日々の訓練が重要だ。

 どうだろう?体力的にはそこまで強度が高い練習とはいえないが、精神的にはつらい練習だろう。同じ技を延々と繰り返す。ずっと立ってるだけ。本当に強くなれるんだろうかと私も半信半疑だったが、4年この練習を続けて徐々に確信に変わりつつある。結局のところ武道は技のキレや善し悪しではなく、精神が勝敗に大きく影響する。だから徐々に物理的な練習から精神的な鍛錬に移行していかなければならない。まだ私の場合だと技や体力に頼る部分が大きいが、精神的な土台を作る事にもう少し時間をかけなければならないと思っている。