道路標識ステッカー、俺は結構いいアイディアだと思った件。




大阪や京都の市街地で道路標識に独自のアートステッカーを貼り、危険を生じさせたとして,女性が道路交通法違反の容疑で逮捕された事件について色々思う事がある。  僕が見る限り、インターネットやテレビ、ラジオで受ける今回の事件に対するメディアや世論の反応は法を犯した犯罪者の扱いと変わらなかった。法を犯したという観点で見れば逮捕されるのは当然なのだが、法やルールを犯した者への制裁意識が日本人は強すぎる気がしてならない。だから法律やルールにない発想や解釈を認める寛容性が全く生まれない。  警察が発表している"危険を生じさせた"とはおそらく私の想像によると、道路標識に貼られたステッカーへの注視が前方不注意などを誘発し思わぬ事故になる危険性を示しているのだと思うが、我々は道路上に設置されている標識を意識的に見る習慣はあるだろうか? 一方通行、右折禁止などの道路標識の見落としでどれほど多くの違反者が待ち構えている警察車両の餌食になっているかはご存知だろう。ステッカーを貼る事によって未然に防げる交通違反もあるということだ。柔軟でポジティブな発想を持てばステッカーのユニークさが人の注意を標識に集めて、交通法規に一役買う可能性も十分あると僕は考える。法律を犯してはならないというのは法治国家としては当たり前だが、法律やルールの遵守に固執するあまり法律の目的をみうしなったり、柔軟な発想を鈍らせている。   兎にも角にも日本人は決められたルールやマナーに厳格すぎるし依存し過ぎだ。それに異を唱えようものなら集中砲火を浴びるし、全くおかしいルールに疑問も持たなければ、変えようともしない。常に誰かが決めたルールの下で誰も異論を唱えず粛々と過ごす。想像力をはたらかせるには難しい環境だとつくづく感じる。