それってセクハラですか?

ここ十数年でセクハラが微細な問題ではなく人権を侵害するレベルの物だという認識が日本の世論を取り巻いている。実際に実害を受けて病院の入退院をくりかえすほど精神的にダメージを負わされる例もすくなくないし、会社での上司という立場を利用した悪質なセクハラがあるということもネット上の体験談でもよく目にする。しかし中には軽いコミュニケーションの延長で女性に告げた何気ない一言が、セクハラと認定されてしまう事もある。私が学生のときから現在にいたるまでおよそ十数年のセクハラ行為による訴訟や、処分の変遷を見ていると、年を追うごとに、セクハラと認定される行為の縛りが強く、また厳密に定義されるようになってきた。私がまだ小学生だった1990年代は、セクハラと言えば実際に触ったり、交際や関係を強要して迫ったりすることなど、女性の尊厳を著しく軽視した直接的な行為が対象であり、言葉で間接的に女性の立場を貶める行為は厳重注意のみで罰則を設けて咎められる風潮ではなかった。恐らく職務規程に置いてもかなり曖昧に定義されていたと思う。それが、1999年男女雇用機会均等法の改正により一部制限が撤廃されると、女性の社会進出が以前にも増して拡大し、これまで取り沙汰されなかった言葉の問題が表面化するようになり、企業が徐々に職務規程や就業規則にセクハラに関する条文を割と明確に規定するようになる。ここ数年では"言葉によるセクハラ"がさらに厳密になり、何を女性に告げればアウトかといったNGワードが明確になっている。最近では実際に男女の認識の差から生まれた誤解をセクハラととらえられ企業から懲戒処分を受けたケースもある。こういった流れを見てみるとセクハラの捉えられ方が極めて小さな主観的な領域にまで及んでいる。とりわけ個人主義が浸透している現在の日本では当事者同士で解決できるような些細な問題でも、自分の権限を傷つけられる事にとても敏感になり、罰則や何らかの制裁をもって報復する事が昔よりも多くなっている。もちろんセクハラによる甚大な精神的被害を被っている女性がいることは許し難い事実であり、女性の人権を守る世論の動きはとても大切なことであると思っている。が、あまりにも狭すぎる許容範囲ではコミュニケーションを取る事にとても苦労させられてしまうだろう。セクハラは問題行為である事に反論はしないが、認識のずれから許容範囲を超える侮辱を受けたと感じたら、その場で相手に注意するくらいの度量は持ってほしいと思っている。(たびかさなる悪質なセクハラの嫌がらせを除いて)