相手を理解する方法


 相手を理解するというコミュニケーションの基本的な考え方は、 本当の意味で実践しようとするとなかなかハードルが高という現実に気づかされる事が私の経験上多々ありました。

仕事上の業務連絡の行き違いで進行しているプロジェクトに遅れや不具合が生じる事は割と多く、私が伝えた内容に対する極めて小さな誤解が、伝言ゲームのように人づてに情報が共有されていくうちに全く別の指示内容に変わっていた事もありました。相手の状況をしっかり把握して、理解に努めるというコミュニケーションの根本的な考え方に気づいていれば防げたと今は確信できます。こうした失敗の多くは、コミュニケーションについて多くを学ぶきっかけになりました。

「相手を真に理解する」。
言葉で表せば非常に簡単なように聞こえますが、実践して相手を本当に理解する事に努めるのは本当に難しいです。自分の常識では検討もつかないことを平然とやったり、しかしその理由を問いただすと以外と筋が通っていたりします。組織やチームワークでなにか目標を共有して成し遂げる為には一定のルールを設定しなければなりませんが、結局のところマジョリティの価値観を元にルールで押さえつけても本人が納得しなければ、仕事に支障が出たりします。「相手を理解する」という方法が最終的には良いチームを作る上でも、良い人間関係を作る上でもルールやマナーを設ける以上に相手が自発的にこちらの意向に従おうと努力してくれます。

それではまず何が「相手を真に理解する」ということを困難にしているかというと、先入観や偏見です。

この先入観や偏見は様々な誤解やコミュニケーションの行き違いを引き起こしてくれます。そんな問題児である両者の本質は私たちが持っている価値観です。

当たり前ですが、私たちは人生の中で様々な情報に触れて様々な経験をしながら自分の価値観を形成していきます。
自我が形成され、価値観が育ってくると、五感を通じて知覚される様々な情報は自分の価値観というフィルターを通して吸収されて、
脳がその情報に対する感情を出力します。同じ物を見ていても捉え方や感じ方は人によってそれぞれ異なるという事は分かると思います。

食べ物の味や匂い、映画の感想、聞く音楽の趣向の違いな他人と全く同じ価値観を共有できる人はほとんどいないでしょう。だから「話を聞く」ということに関しても、人の話の内容に対して、100人いたら100人の異論があって当然ということです。だから「相手を真に理解する」訓練がされてない多くの人は、自分が聞きたいように人の話を聞いて、自分の主張したい内容に合わせて人の話を解釈しようとします。

例を出せばキリがありませんが、yahooの知恵袋の多くの質問者と回答者のやりとりを観察すればお互いのコミュニケーションに行き違いがあることは容易に理解することができます。多くの回答者は、私が見る限りでは、質問に対する回答が質問者にとって有益かどうかにはあまり関心がなく、質問の内容を利用して自己主張することに意識が向いているということです。

自分自身の狭い世界の正当性を主張する価値観は先入観や偏見を生み、人を理解するにはほど遠い自分本位のコミュニケーションに終止してしまいます。それを自制する術は、常に相手の立場に立って物を考えるというシンプルな行動です。保育園から義務教育過程を終了するまで、お世話になった先生方に相手の立場に立つということの重要性について教えられましたが、結局のところその本質を理解している人はいなかったように思います。今思えば、彼らがこの言葉を利用して子供達に教えていたことは一つ。他人の立場に立っていかに自分が間違っているかという考えのもと深く自省させ、理不尽であっても強制的にトラブルを回避するという教員都合のものだった気がします。

相手の立場に立って、相手の気持ちになって、相手の視点でものを見、考えるという行為は、相手を理解することにつながるのは明らかです。話す内容、表情、態度、雰囲気など相手から発せられる情報を元にして今相手はどういう感情なのか、どういう気持ちなのかを類推します。その得る情報が多ければ多いほど相手の価値観を理解する事つながります。表情や、態度、雰囲気など表面的に発せられる情報ではどうしても限定的であるため、質問などによって相手の話を引き出す事が相手を理解する第一歩になります。

もっと大枠的なところでいうと、相手の人生に関心や好奇心をよせて、純粋に相手を好きになるか、好きになれる所を見つける、もしくはそう努力をすることが、より多くの情報を相手から引き出して、深く相手の価値観に共感できるようになります。
”デールカーネギーの会話力”の編者であるアーサー博士はこういってます。
コミュニケーションが下手な人間は、気持ちが自分や自分の事だけに向いている。彼らの関心ごとは二つしかない。自分のビジネスと自分の小さな世界だけ。だからかれらにそういう話をすれば、たちまち身を乗り出してくるだろう。しかしこちらのことには興味がない。私たちがどう暮らそうと、どんな野心があろうと、彼らにどう助けてもらえようと、そんなことはどうでもいいことなのだ。そんな自分本位で共感のない、せかせかした生き方をしている限り、他人を理解する事などできない。

劣等感を感じている多くの人は他人の人生と自分の人生を比較する事で卑屈になったり、自信をなくしたり、自尊心が傷ついたりするのであまり他人の人生に共感を覚えないようにしているかもしれません。でも比べる必要がどこにあるんでしょうか。そんなことにこ壁をつくっているよりも他人の経験を話から学ぶ事の方が重要な気がします。相手を好きになる。相手の人生に共感する。何も難しい事ではないです。これが人を理解する最善の方法だと思っています。