美しいピアノの音色の定義


 実は私は大のクラシックファンで小さい頃からピアノを嗜んでおり現在も時間があればピアノを楽しんでいる。マニアというレベルではないが、ituneに登録されている曲は全てクラシックで、電車に乗る時は本の代わりに楽譜持参するという筋金入りのヲタクだ。そんなクラヲタが今回話すのは美しい音色を奏でるピアノとはどういったものかについて。

美しい音色の定義についてはマニアの間では様々な意見があると思うが、本質的にピアノの美しい音色にはどのような特徴があるかを簡単に見ていきたいと思う。

まず美しくないピアノの音色とはどういったものなのか?

これを別の言葉で言い換えると「聴き手にストレスを与えてしまう音色」ということになる。

ストレスを与えてしまう音色とは、ミスタッチや、意図しない重音によって奏でられる不快な調和してない音のこと。重音は複数の音を同時に奏でる和音の失敗だけでなく、非常に早いパッセージのミスタッチなどで起こる。和音を奏でれば間違って隣の鍵盤を押してしまったり、単音で非常に速いパッセージの音色を奏でれば、最初の音を弾き終わってない段階で次の音を弾いてしまい音が濁ってしまったりすることで意図しない音が曲の雰囲気に少し傷をつけてしまう。
比較的音楽性を重視するピアノコンクールでは、ミスタッチに関しては数回程度であれば容認される場合がある。しかしこの演奏中のミスタッチ、数が多ければそれに比例して聴衆に綱渡りを見せているような不安や心配をつのらせてしまう。

だからこそより多くの人に指示されるピアノの音色にするためには、より正確に鍵盤を弾き、音を一音一音独立させている必要がある。つまりより美しい音色を奏でるにはより正確なパフォーマンスが必要であるという事だ。もちろん曲の雰囲気を演出する為に音の強弱や、遅速をコントロールすることは美しい音色を奏でる重要な部分であるが、音を正確に操る術がなければそういった技術は馬脚を表す結果になる。

「美しい音色を聞く」ということであれば、聴衆はより正確である演奏の方を望む。だから演奏者は演奏する曲が自分の能力以上の速度を求められている場合、無理して見栄を張って早く演奏する必要はなく、より自分が正確に弾く事ができるレベルまで落とすことが好ましい。その方が、プロの演奏を聞き慣れている方は多少違和感を覚えるが、多くの人は安心して聞く事ができる。

逆に言うと、早く弾かなければ、メロディーが掴めないとか、ペダルを多く使って響かせないと美しく聞こえないという演奏は素人でも騙す事は難しいだろう。クラシックのピアノ音楽はペダルに頼らなくても十分観客を魅了できる曲はたくさんある。

プロ素人問わず、演奏者に期待しているのは曲の解釈以上に正確に弾かれる鍵盤から奏でられる美しい旋律だ。ピアノソロでの演奏は基本的にごまかしが効かないため、わずかな音の違いでもその不快感に集中力を乱されてしまう。

ミスタッチを追求する事は音楽性との関連が低く、人間は機械ではないと批判されるが、聴衆の立場に立てば、その回数が少ない事が良い事に越した事はなく、正確な旋律を奏でる事が聴衆の心配を取り除く。正確に音を弾くことはピアノ演奏において全ての土台であり、感情移入して演奏する以前に入念に練習しなければならないというのは私の持論である。