江戸時代の風俗 すぐにやらせてもらえない!

 いきなり質問だが、男性の皆さんは風俗をどのように捉えているだろうか?寂しさを紛らわすところだろうか?疑似恋愛を楽しむところだろうか?満たされない欲望をぶつけるところだろうか?ホリエモンは風俗を効率的に疑似恋愛と性欲を満たせるものだと言っいた。当たり前だが現代の風俗の位置づけというのは専ら女性と男性の擬似的な情事を重ねる場所であるという認識が強いと思う。恥ずかしながら私が利用する時も上記に挙げた目的で利用せていただく事が多い。こういった手っ取り早く性欲を満たすような性風俗の形態が登場し始めたのは長い日本の歴史から見ればごく最近の戦時中の事で、慰安婦が始まりだとされている。それ以前の性風俗の文化はどうだったのかというと、性的なサービスを専門的に提供する店はなく、所謂今で言うキャバクラで口説いて性交渉に持ち込むというのが一般的だった。

江戸の風俗吉原。すぐにやらせてもらえない?

江戸時代の風俗の代表格と言えば幕府公認の遊郭である吉原だが、実はここで女を買ってもすぐにはやらせてもらえるわけではない。遊女と一線を越える為にはある程度手順を踏んでなじみにならなければならないのだ。吉原は風俗街と言えど銀座のクラブさながら。表向きはお酒を飲んで女性と歓談して遊ぶ場所だ。そのため遊女に気に入られる為に頻繁に通わなければならず体を許されるまでには苦労する。

遊女を彼女にする方法

遊女の男性との付き合いはもちろん商売であり、たまに本気でほれる事があるという。一線をこえて遊女と交際をもとめるのであれば、遊郭界隈にて"通人"という認定が必要になる。通人とは何度も遊郭に通っては遊女と享楽をともにする言わば一流の遊び人の事で周りからは一目置かれる存在になる。そこがスタートラインだ。一見で終っては名前すら覚えてもらえないだろう。ちなみに吉原界隈で最高の名誉といえば間夫(まぶ)といって花魁の情男になることだ。

花魁と昇天するまでの手順

 花魁といえば遊女の中でも最高の地位にいる者で、彼女達と一夜をともにするには最低でも3回は通わなければならないため、遊ぶ人間のほとんどは豪商の一族かまたは大名や幕府の重鎮に限られた。ではどのようにして花魁に近づけるか
  • 初回:番頭新造や、妹文の女郎や芸者、下働きする男性スタッフに大盤振る舞いし現在の価値で100万円吹っ飛ぶ。其の割に花魁は客と離れた席に座り品定めをする。この花魁からの品定めに合格しなければ次のステップに進む事はできない。
  • 2回目: 基本的には一回目同様大金を支払って芸者や太鼓持ちの芸を見る。このとき花魁との距離は近づくが結局初回同様口をきいてくれない。
  • 馴染み:3回目でようやくとして自分の名前が入った椀や箸が用意され、馴染み金として遊女全員分のチップを支払うのだが、この時点で軽く1000万円は超える。そしてようやく花魁と床に入れるのである。

援交は禁止

 基本的に江戸時代ではこうした幕府が認定した慰安所以外での風俗の商売は禁止されていた。が奉行所の直轄外である寺や神社の領内に岡場所(風俗店)をつくり庶民には親しまれた。中には風俗を通さずそこで手伝いとしてはたらいている地女(遊女ではない素人)に話を持ちかけて売春をするという不届き者がいたが、手伝いとしてきている地女はどこかの商家の娘で、手を出して責任問題に発展し刑罰を受けた者も少なくない。地女買いはこの頃もかなり軽蔑されていた。

まとめ

 現代の風俗とはちがって体を許されるのは通い慣れた通人のなかでもお気に入りのみ。今のようにお金で全て割り切って仕事をしている訳ではないので、セックスをする相手を選べるという観点だけとらえれば案外気楽な商売かもしれない。ただ芸者や遊女の作法やしきたりは格式高くとても厳しく、教養がもとめられた点を考えると今の世間が風俗嬢を見る目と当時の江戸の人々が見る遊郭の遊女を見る目は明らかに後者の方がステータスだったに違いない。