相手を理解する重要性


自分が相手を理解しているかどうかの指標を測る最も簡単な 方法は自分の要求を的確に伝えて相手がその要求通りに 動いてくれるかどうかを確かめる事です。

例えば、相手とあなたとの間で立場上の違いがあり、 相手があなたの指示を立場上聞く必要がありその指示を 義務的に遂行しなければならないというある一定の主従関係の縛りが あるという前提条件があれば、相手はどんな状況でもその要求や指示に応じなければ ならないので、指示の遂行に尽力すると思います。しかし、しっかりとあなたの指示内容や 要求を吟味して行動に反映してくれるかどうかはあなたがどれだけ相手を理解しているかという理解度の度合いに比例します。しばしばコミュニケーションの行き違いにより仕事に支障が生じる場合は、単純な伝達ミスや指示を受け取る側の勘違いで片付けずに信頼関係を少し疑った方がいいかもしれません。

では逆に相手とは立場が対等で、仕事上の縛りがなく、長らく友人として交際がありお互いにかなり親密な間柄という前提条件であなたが自分の要求を依頼する、お願いするという立場をとったなら何かの手違いがないかぎり大きく相手があなたの要求を取り違えると言った事はないと思います。

仕事とプライベートは違うと反論される方もいらっしゃると思いますが、相手を自分の要求に従わせるという意味では指示であろうが依頼であろうが根本的には一緒です。その際相手が要求通りに動いてくれるかどうかの明暗を分けるのが信頼関係です。その根底にあるのは相手を理解するという信頼の蓄積があります。

相手を理解するとは、今相手がどういった感情を抱いているのか、何を考えているのか、体調はどうなのか、どんな悩みを抱えているのかなど相手の状態を理解する為の疑問と、今忙しいのか、別のプロジェクトに参加しているのかどうかといった相手の状況を理解する為の疑問を継続的なコミュニケーションを通して察知するということです。

継続的なコミュニケーションとは何も継続的に会話をして状況や状態を把握するということだけではなく、五感を通じて相手が発する様々な情報を観察する事や、その情報を元にちょっとした気遣いを相手にしてみたりすることも継続的なコミュニケーションの範疇です。

時にはマナー違反を承知で聞き耳を立てて相手の会話を遠くから聞いて相手の状態を知りそれに応じた行動をとる事で一気に信頼関係が蓄積される場合もあります。

ホテル業界の中ではホスピタリティーにおいて右に出る者はいないと評される彼の有名なリッツカールトンでは、相手の状態や状況を察知する為にさりげなくお客さんどおしの会話に聞き耳を立てて様々な情報を得て、その情報を吟味し、類推して、そのお客さんにあったサービスを提供しています。

例えば、リッツカールトンのレストランを利用しているお客さんから食事中の歓談の席で誕生日を祝う為に利用しているという会話がウェイターの耳に届くと、瞬時にどういうサービスやアイディアがお客さんにとって望ましいかを判断してすぐさま実行に移します。シェフに相談を持ちかけケーキを手配し帰り際にさりげなく手土産としてケーキを渡し、誕生日の祝福するというサプライズを演出するといいます。

リッツカールトンは言ってみれば、シンプルにこうした相手の状態や状況を理解して、それに応じた対応を継続的に心がける事で大きな信頼を勝ち得ているということです。

日常生活ではここまで大げさなホスピタリティーを発揮する必要はありませんが、自分の要求を相手に伝える場合は相手の状況や状態をまず知り、よくお互いのコミュニケーションを深めて指示する内容、伝え方を吟味する必要があるかもしれません。

忙しいからそんなことする余裕もないし、なぜ部下に指示をだすのにそこまで気をつかわなければならないのかという意見があるかもしれません。しかし私からすれば、相手の理解に努めずに崩れた信頼関係で仕事上のコミュニケーションの行き違いから発生するヒューマンエラーを防げない方が長い目で見た場合時間的なコストや納期の遅れから生ずる顧客との信頼関係を欠くリスクもあります。

逆に相手を理解するという一連のコミュニケーションで信頼関係構築に努めれば、最小限の言づてだけで相手があなたの意向に気づき、要求通りの仕事をしてくれるようになります。長年の信頼関係の蓄積によって得られるアドバンテージは社内での同僚や部下とのやりとりだけでなく、顧客との深い信頼関係を築いたりそれをとりまく多くの見込み客がそのオーラを感じて注目してくれるようになると思います。

人気のあるレストランとそうでないレストラン、ホテルマンのサービスが行き届いているホテルと、そうでないホテル。比べてみればその違いが一目瞭然だと思います。誰もお客さんを理解しないホテルやレストランに足を運びたいとは思わないでしょう。

「五感で磨くコミュニケーション」の著者である平本相武先生によれば、人間は意識しなければ目の前にいる人とはコミュニケーションはとらない。たいていは自分の頭の中に描いた相手、つまり自分の思い込んでいる相手とコミュニケーションをとっていると言っています。

自分勝手に相手を理解したつもりになり、自分の価値観というフィルターを通して相手の話を聞きそこから生じるコミュニケーションの行き違いを人のせいにする人が多いと思います。

だから相手を本当の意味で理解するという事は一朝一夕に習得できるスキルではなく毎日の行動からいかに相手の状況や状態を読み取る努力とそれに付随した行動をおこすことが必要になり、意識的かつ主体的に取り組まなければならないとても難易度が高いコミュニケーションです。

私の考えでは、相手を理解することができるようになる最善の方法は昔から言われている「一日一善」の実行です。人がしてほしいと思うものを身近なところから自分ができる分野にしぼってやれば自ずと人の気持ちを理解するという自発的な心が芽生えると思います。

なんでもいいんです。会社の掃除、町の掃除でも電車で席を譲るでもいいと思います。例えば私なんかは、エレベーターに乗って自分の行きたいフロアーに着いたら人がエレベーターに乗っていない限り一階のボタンを押してエレベーターを一階に戻すようにしてます。階段を下るひとより上がる人の方が大変でしょう?

相手を自分の要求通りに動かしたいなら、相手を十分に相手の立場に立って理解して彼らのしてほしい事を先にやってあげましょう。