雑談は無駄じゃない


 最近私の周りでは雑談を軽視する人がとても多いです。仕事中デスクを挟んで向かい合わせになった人と雑談、プレゼンテーションの導入を雑談から入る、打ち合わせ、会議など雑談から始めて本題に入るなどについてあまり好意的に捉えない人が増えてきています。

常に仕事の効率性を意識して雑談を無駄な時間と捉えて必要事項だけを報告させ、仕事上の隙を全く作らない息のつまるようなワークスタイルを押し付ける人が増えている気がします。

人は信頼関係をコミュニケーションによって常に確認し、組織内での連携を強めて高いモチベーションを保ちながら仕事をこなしています。

そう、人は感情のつながりや、自分の感情の動きに非常に敏感で、ちょっとした出来事に心は翻弄されやすく移ろいやすい。表面上は仕事をこなしているように見えるけれども全くやる気がない事もあります。だから感情が仕事の生産性に大きく影響を与えます。

この部分を無視して効率性だけを重視して雑談から得られる様々なメリットを排除してしまうと感情的な反発が起きたり精神が疲弊したりしてうまく業績をあげることは難しくなるかもしれません。人は思ったほど合理的ではなく感情的で情緒的です。様々な価値観の人間が入り交じる組織では特にこうした雑談を通してお互いの信頼関係をはかることが重要ではないでしょうか

ラポールをとるとは信頼関係を構築するといった意味合いですが、原義はフランス語で橋をかけるという意味です。お互いの感情に橋渡しをするには雑談という手段が用いられるのは至極当然で古代ローマ時代には既にそういう考え方がありました。

雑談の内容自体に意味があるというのではなくて、我々は、お互いの状態を確かめることが、同僚もしくはパートナーと仕事をして行く上で欠かせない、円滑なコミュニケーションをとることが可能であると、重要性を潜在的に認識しているということです。

例えば、仕事に入る時、あなたが同僚と軽い世間話をするつもりで天気の話を始めたら、同僚がそんな話は俺には関係ない。仕事に集中しろと言われたらどうでしょうか?その後仕事中に継続的にコミュニケーションを取ることに抵抗を感じてしまう人が多いのではないでしょうか?

人間は兎にも角にも理屈で考えて様々な心理変化を起す行動に無駄というレッテルを張ってしまいがちですが、これは様々な動物がコミュニケーションを取る為の特異な習性を持っているのと同様、人間の本能的な習性と捉えたほうがいいと思います。

デールカーネギー協会が出版している「リーダーになるために」という本にラポールを取る事についての興味深い事例があるので紹介したいと思います。
JPモルガン銀行頭取、ダグラス・ウォーナーは「われわれは文字通り行内を動き回るのだ」と言っている。「自分から出かけて行って、人々に会うんだ。事務所から外に出て、皆の場所に行って話すんだ。」 週に数回、ウォーナーか彼の自重のどちらかが、モルガン銀行の3,40人の幹部とコーヒータイムを持つ。ウォーナー流に言えば、「目と目を合わせた、直接でくだけたコミュニケーション」である。モルガンのような銀行でさえも、こういう単純なおしゃべりの効用を見いだすようになっている。またこの方式は、管理職クラスにも適用された。「この一環としてざっと300人の部長が毎日昼食会の為に大きな部屋に招かれる。事実上の円卓会議をやっている」


モルガンスタンレーと言えばニューヨークに本拠地がある世界的な金融グループですが、そのトップは雑談から引き出すラポールの重要性について認識していると思われます。

仕事の効率性とスピードを重視しすぎるのは従業員の心理に大きな負債を残す結果になります。最終的にはラポールを得てクライアントと良好な関係性を築いて行く訳ですから、会社内で日常的にこうしたコミュニケーションがとれていないというのは話にならないと思います。