膨大な行動の末にわずかな成功がある


 最近ふとよく思う事があるのですが、現在私も自分が目指しているもの、目標にむかって本当に努力しているのかということです。

私の人生を振り返ってみると様々なターニングポイントがあってそれに気づかずに何もアクションを起さなかったあるいは、継続的に物事に取り組めなかったことが多々あり、中途半端な形で取り組んだ仕事に対して人に認められられるような形で成果が残せてないのです。

何が言いたいのかというと、どこか潜在意識の中で覚悟が固まっておらず目の前の仕事に一心不乱になって目標到達に情熱を注ぐことができていないということです。常に迷いが生じて方向性を見失ったり、感情の起伏によってその日の出来具合が変わってきたり、意味もなく不安な感覚に襲われたりすることがあって、毎回目の前の物事に取り組む視点や姿勢が変わってきます。雑念は人の覚悟を鈍らせます。

昨日仕事の合間につけたTVでボクシングの世界タイトルマッチが放映されていました。結局仕事がてにつかず両者の死闘を最後まで見届けてしまいましたが、彼らの迷いのない真剣なまなざしを見ていると覚悟の何たるかをTVを通して教えられている気がします。大げさではなく、自分の人生の全てをボクシングに捧げて、命をかけて大一番の勝負に望んでいるような心構えをその雰囲気から感じました。そして何よりもその試合を心底楽しんでいるように見えました。

彼らのような覚悟を持って人生を生きているかと聞かれたら、全力で否定できる自信があります。どこか妥協を入れてしまう性格、なかなか新しい一歩を踏み出せない臆病な性格、少しでも成果が上がらなかったり、停滞するとネガティブ思考のスパイラルに転落してしまいます。自分の感情に翻弄されているうちは物事の本質すら見えてきません。

一流のボクサはとにかく行動がシンプルです。一瞬の大一番の試合のために膨大な練習時間をこなします。それでも勝率は安定しません。でもあきらめずに継続する事でいつかは夢見ていたタイトルを奪取できるのです。そう、膨大な行動量と膨大な失敗の量があって始めてほんの一握りの成功体験を掴むことができるのです。

ちょっとつまずいたから、ちょっとうまくいかないから、安易に方向性を転換して別の事をやり始めたり、途中で放棄してしまったり、真剣度を欠いてしまったりするのは覚悟が足らないというか、自分自身を信じていない証拠です。

覚悟や決断が鈍れば鈍るほどそして弱ければ弱いほど目標の到達までかなりの遠回りをしてしまう事になります。結局のところどんなに成果が上がらなくても、どんなに無駄だと思えても、目の前のできることを一生懸命やるしかないんだと思います。0を1に1を2にする努力をどんなに小さくても続けて行かなければ運も寄りつきません。

当たり前の事ですが、当たり前の事ほど当たり前にできないのが人間です。私自身も様々な誘惑に負けて現在の人生を歩んでいます。何度同じ決断を繰り返したか分かりません。何度あきらめたか分かりません。シンプルにビジョンや覚悟を持って取り組まなければ本当に不安を抱えたまま人生を送る事になりそうです。

先日テレビでホリエモンが言っていましたが、自分の今の状態を不安に感じたり、将来に対して漠然とした不安を抱えるのは今現在を一生懸命生きていないからだそうです。まったくその通りです。

今回の記事は愚痴っぽくなってしまいましたが、弱い自分を変革するため戒めとして綴っています。もっと覚悟を持って感謝に満ちあふれた生活にするよう努力する所存です。