統一地方選挙、私は無効票です。。


アメリカの著名な政治学者デイヴィッド・シンガーによれば、およそ、政治家を志すような人は「平気でウソをつける」「平気で人をだませる」「平気で汚いことができる」の3つが大切といいます。

先の統一地方選挙では主要な駅や繁華街で無所属、どこかの党の公認候補が入り交じっての舌戦が繰り広げられていました。「市をいい町に」を標榜して実現性の乏しい公約や政策を根拠も語らずに理想論として延々と街頭演説を繰り返していました。

わたしが住む町では統一地方選が始まる2~3週間前に選挙カーでの告知活動や早朝と夜、出勤と帰宅の時間に合わせて駅で複数の候補者が大声を張り上げて自分の名前と挨拶を繰り返していました。名前を覚えてもらおうと思っているのでしょうか?

そんな騒がしく朝から晩まで行われている選挙活動で候補者達が一貫してとっている共通の立場があります。それは「市民に対するお願い」という立場で演説を終えたり、有権者に対して無差別に挨拶をしているということです。

自分の自信がある政策、実現したい目標で有権者をひきつけ、後は私に任せてくださいという態度で選挙期間を終えた人は一人もいませんでした。私をどうか当選させてください。お願いします。当選させてくれるんだったら何度でも頭下げます。本当にどの候補者もこのような面持ちというか雰囲気でした。

政治が政治家どうしの権力闘争そのもので、選挙を通じて政治家にもたらされる権威は党内部の派閥闘争や強い影響力を持つ大物に都合良く行使されてしまう。政治家の権威はいつも有権者の要求と権力闘争の狭間で右往左往している状態だという意見を聞かされると、私の考えは理想論に聞こえしまうかもしれませんが、私のスタンスからすれば、民意を得る事など二の次で、市の内政問題の本質を見抜く議論を重ねなければないと常々思っていいます。雇用、労働問題も市町村が抱える内政問題の一つですが、本質や原因を追求するスタンスはとっていません。民意をおもねる上辺だけの約束事を並べ立ててその場しのぎの信用を得ているにすぎません。民意が反旗を翻しても、今は市民が受難を被っても、準備期間または投資期間として市が長期的に見て最適だと思える政策内容に一貫して的を絞って実行する事。また手の届く現実的な目標設定と、市民へのプレゼンテーションをつづけながら理解をえることが重要であると感じています。

さて企業は銀行や投資家から金を集めるとき事業計画書なるものを提出します。膨大なマーケットリサーチで得られた情報からその事業の将来性や優位性はたまたまだ立ってない売り上げも様々な根拠から類推してプレゼンテーションしなければなりません。お金を貸す側はあらゆる角度から情報を精査して決定に踏み切ります。

候補者達は真剣になって自分の一貫した主張を伝えていますか?しっかりとしたヴィジョンを裏付けのある、根拠のあるデータと共に公約達成までのプロセスをプレゼンテーションしていますか?目先の利益獲得に奔走して本質を見失い票獲得の為の演説合戦になっているんじゃないでしょうか。

有権者は選挙によって一票投じることができる言わば投資家や株主といった存在です。それぞれが違う要求や批判を持つのは当たり前です。そうした有権者が多く抱える要求や悩みを安易に公約にして釣ってはダメです。自分が本当にやらなければない市や国にとって重要な課題を細分化して任期中に実現可能な目標を公約にしてじっくりと腰を据えて市民と対話し説得をしなければなりません。投資や融資も一回のプレゼンで決定する訳ではないのです。融資のプレゼンも選挙演説も同じです。人を説得する過程でヴィジョンが欠落しているのでは話になりません。

厳しい言い方になりますが、候補者から一票投じてくれとお願いされる筋合いはないのです。自分の公約に自信があるなら、こちら側にその熱意と計画が頭の中で共鳴します。その自信は数ヶ月数週間で選挙運動の為に大慌てで準備されるような状況で育まれる物ではなく、長い年月をかけて自分ができる範囲の努力を少しずつ積み重ねてようやく実る物だと信じています。

現在はインターネット上に無料で使える媒体はたくさんあります。それらを駆使して自分の活動を報告したり、自分の主張を展開していればいつかは支持を表明する人が出てきます。

私は自分の町の候補者のブログを全て確かめましたが、選挙前になると更新が途絶え、また過去のログを辿っても私用のことばかり書かれていて、本気で情報発信をしている人は現職の市議会議員でもいませんでした。私はそういう地道な活動をしている人であり、一貫した信念の持ち主であれば特段駅前で演説しなくても票は入れます。

選挙の前日、私の家の前を現職の市長の選挙運動の街宣車が通りました。大きなスピーカーを通して何て言ったと思いますか? 「票は私でお決めください」と言っていました。 選挙を舐めているとしか思えない発言でした。私は激しく怒りを覚え今回記事にしたためました。私は政治に関してはあまり批判的にはなりたくないですが、市政の行く末は案じてしまいます。