やらせ、演出の違い?苦し紛れの反論だな そりゃ

最近、芸能ネタを中心に扱う影響力のあるニュースブログや2chまとめなどのキュレーションサイトでテレビの演出やヤラセの発覚を暴露する記事を目にする機会が多い。業界内部からの告発に加えて、視聴者の側も放送内容の矛盾点を具に見つけ出し演出を疑問点を鋭く指摘する。インターネットによるユーザーの情報共有が様々なジャンルで広域にやりとりされた結果、ここ十数年でネチズンを中心とするメディア、情報リテラシーが格段に高くなった気がする。視聴者が期待するコンテンツを制作する為に演出は重要な要素としながらもその事実を伏せて放送するテレビ局と、演出の事実を知らない視聴者の間で大きな認識のギャップがおきて、ことさらネット上では信用問題になっている。。。と思う。

この事に関して、最近よく業界側が視聴者側に理解を求める質問としてよく目にするのが、演出とやらせの違いの理解度についてだ。結論から言わせてもらうと、私の考えではこの質問自体視聴者の理解を求めるには甚だ見当違いだ。テレビの番組制作においての演出の事実について視聴者が一般的に認知するようになったのは私の見る限りインターネットが出てきてからだ。しかも演出の事実はテレビ局から申告されたものではなく第三者による告発か、番組の演出を疑問視する世論の声によって局側がその一部を認めたものだ。だからテレビ局は基本的には演出の事実は視聴者に伏せておきたいのが現状。だから視聴者が演出ややらせについては知る由もないというのが普通だということだ。

根本的に視聴者、特にネチズンが問題視しているのはやらせと演出の違いではなく、演出や仕込みの事実を隠しながらノンフィクションのドキュメンタリーと銘打ってまたは、そう思わせる編集、宣伝に不信感を抱いているのだろうと思う。

演出の事実を公表して番組を放送すれば良いのだろうが、それをしないのは純粋な心情で番組を楽しむ視聴者がいなくなること、視聴者の不信感が強くなる事を知っているからだと思う。

インターネットの登場によって視聴者に知られるとまずい業界の不都合な事情がどんどんあからさまになっているため、報道側と視聴者の間の情報落差が確実になくなってきている。すると今度は、業界の人間は苦し紛れの反論から開き直りと視聴者批判へと矛先を転ずる。

元特ダネのアナウンサーでフジテレビニューヨーク支局に配属されていた長谷川豊アナは番組を進行する上での演出の有効性と、その批判に対する持論を包み隠さずに語っている。番組に演出はあってあたりまえだと言わんばかりに、隠すべき演出の事実や業界のルールを公然とさも当たり前のように話している。

こうした演出の必要性を開き直って公然と公表し、視聴者の落ち度を指摘する業界人のブログもあるが、結局それでは視聴率という成果には結びつくはずもないだろう。

さて、私のお気に入りの番組はイッテQだ。お分かりの方もいるだろう。番組のスタンスは演出を隠そうとしないどころか、演出や芸人のミステイクを積極的にナレーションで突っ込んでいるところだ。ゴールデンの時間帯でさえ一桁の番組がその多くを占める中、ダントツの2ケタ。この番組に次世代のテレビコンテンツ制作の秘訣が隠されているかもしれない。

テレビもインターネット登場からの目まぐるしい時代の変化に追従していかなければならず、従来のやりかたを変化させなければ視聴者の信用を勝ち取るのは難しいだろう。